個人的人生観(悟り)

2021年3月1日、二子玉川にあるカレー屋からの帰り、
多摩川の河川敷を1時間かけて歩きながら帰っている途中に
全てがつながった感覚が脳内に走った。

 

強烈な閃きだった。

「点と点が線になった」「悟りを開いた」とも言いかえることができる。

 

28年間生きてきてようやく自分の人生観(幹)を見出した瞬間だったように思う。

 

今日はその見出した個人的人生観についてシェアしたい。

 

 

 

 

導き出した個人的人生観は大きく分けて2つある。
なお、自分では人生観を「幹」と呼んでいる。

 

 

1つは
「燃え尽きて死ぬ」 

もう1つは

「爪痕を遺す」である。

 

 

この2つは死生観から導き出されたものである。

 

 

 

死ぬ時の自分を想像してみた。

 

どういう状況で死ぬのかは検討がつかないが

1つ思うのは

死ぬ時に出来れば後悔して死にたくない ということである。

 

 

ではどのような人生を送れば後悔せずに死ねるのか。

 

 

 

熟考した結果
「もういつ死んでも悔いはない」と思えるように生きる人生というのが

自分なりの解となった。

 

 

自分なりの解として落とし込む過程で

 

 

他者の人生観を1つ参考にした。

 

 

橋下徹氏の人生観である。

 

 

彼の著書「異端のすすめ」の中にこういう文章がある。

 

「大阪都構想のために全エネルギーを注いだ結果、
住民投票で否決となったが
「僕自身の人生としてはもう、いつ死んでも悔いはない」というくらい、やりきった感があります」。

 

 

また、彼は繰り返し「燃焼」というキーワードを使って人生観を表現している。

 

 

「燃焼してますか?」

 

 

まさにこれだと思った。

 

 

 

先日私は簿記3級の試験を受験した。

仕事や日々のルーティン以外に時間を作って自分なりに全力で試験勉強にトライした。

結果は4点足らずで不合格であったが

 

 

燃焼感を味わうことができた。

 

これだ と思った(思い出した)。

 

目標を決め、それに向けて全力で挑戦する。

 

これの繰り返しが人生ではなかろうか。

 

そして大事なのは結果ではなくプロセスである。

 

 

簿記試験であれば試験当日までに紆余曲折を含めて
どう自分なりに全力を尽くしたか。

 

 

点数ではない。

 

たとえ資格が取れようが取れなかろうが

 

最終的に人間は皆死んで灰になる。

 

 

お金持ちになろうが
有名になろうが

 

皆平等に死ぬのである。

 

 

死ぬ時は皆平等 である。

 

燃え尽きるか燃え尽きずに死ぬか

 

燃え尽きる人生を個人的に送りたいものである。

 

 

 

余談であるが

「幸せな人生」とは について
考えに考えを重ねたが

結局解は見つからなかった。

 

むしろ、幸せな人生を追い求めようとするのは不自然かもしれない と気づくようになった。

常にポジティブでいようとしても
どうしてもイラッとすることはでてくるし

 

幸せな人生を送ろうしても

ある日突然地震が起きて死ぬかもしれないし
交通事故に巻き込まれるかもしれない
通り魔に刺されるかもしれない
ある日突然山道を歩いていたら岩が上から落ちて突然肉塊になるかもしれない。

 

この自然界は人間にとって不自然なことが多数発生している。
幸せな人生を送ろうと考えると

こういったどうしようもなく不自然な事象が発生したときに
メンタルが適応できないのではないかと思う。

 

こういった理不尽な事は起こりうるということを予め受け入れながら
この世界で燃焼しながら生きることが後悔なく死ねることに繋がるのではないだろうか。

 

 

例えば

 

ある日突然交通事故で下半身不随になって走れなくなったとしても

車椅子テニスでパラリンピックを目指したりすることもできる。

幸せ 不幸せベースで考えるのではなく

 

自分が出来る範囲で全力で命を燃やす。

 

 

 

 

なお、全力で命を燃やす方法として個人的にオススメしたい具体的な方法がある。

 

 

 

 

大会、試合、コンテスト、試験、その他イベントに積極的に参加するもしくは企画するという方法である。※他者と関われるイベントであればあるほど良い。

 

 

 

世の中には色々なイベントがあるので
そこに参加し、全力を尽くす。

 

 

これを繰り返すことで燃焼感について味わうことができるはず。

 

 

1つ参考にしていただければ幸甚である。

 

 

 

個人的人生観2つ目の爪痕を遺すについて説明する。

 

 

1つ目の人生観の説明でも書いたが
この世の中は理不尽な世の中である。

 

ある日突然後ろから刺されたり銃撃されたり
地震が起きたりエレベーターに挟まって死んだり交通事故に巻き込まれたりする。

 

そんないつ死ぬか分からない状況で

後悔なく生きる2つ目の考え方として

遺す という考え方がある。

 

 

遺せるものは色々ある。

 

1つパッと思い浮かぶのは

我々の本能にもインプットされている
子孫を残すことである。

あとは文字通り遺書がある。

 

 

ただそれ以外にも
様々なものを遺すことが可能である。

例えば自分が作った芸術作品などがそうである。

実際にインドネシアの洞窟には約40,000年以上前に描かれた壁画が見つかっている。

 

自分が死んでもアートは生き続ける。

 

 

 

 

 

 

であれば積極的に遺していこうよ という話である。

 

 

現代ではインターネットという手軽にかつ世界中に爪痕を遺せる媒体もある。

 

私は毎日絵をインターネット上に1枚アップロードしているが
ある意味毎日遺作を遺しているといえる。

 

 

もっといえばアート作品でなくとも

ブログやSNSのアカウント自体も 「文字」で残された遺作である。

 

 

 

 

我々は普段から死を意識することはあまりないかもしれないが

いつ死ぬか分からない理不尽な世の中で

「遺す」という観点を持って日々発信していくことをすれば

 

死ぬ時に

 

 

 「あとはよろしく」といって死ねるのではないだろうか。

 

 

 

私はそう信じている。

 

 

私は死ぬまで一生発信し続けるであろう。

 

余談であるが

私が発信したい内容は

固定観念を破るアート(広義)である。

 

絵はあくまで1つの手段として考えている。

 

 

 

以上、

 

めちゃくちゃ長くなったが

人生観について2つ

このブログに遺すことができた。

 

 

 

この2つの考え方は人に教わったものではなく
自分の内側から導き出た人生観である。

 

 

 

だから本物である。

 

 

 

これまでの自身のアート活動に加え、

・住居移転(転勤)による人間関係のリセット、
・現象警備員という職業による強制デジタル・デトックス 哲学思考時間の大幅増加
・新型コロナによる他者との疎遠化
・ランニング、ウォーキング中の自問自答

といった現象が重なり
今回の悟りに至った。

 

 

 

 

こう見ると奇跡的だなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

何か参考になるものがあれば参考にしてください。

 

 

 

 

やっっとまとめることができた。

 

 

今後の人生

 

全力で燃焼しながら生きていきます。

 

 

 

以上

 

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