身近な幸せ

↑住んでいる寮の部屋の写真の一部。

Before写真が無いけども かなりスッキリした。

昨日は最優先で部屋のモノを減らしにかかった。

心苦しい気持ちにもなったときもあったが
かなりのモノを捨てることに成功した。

また、売るものと捨てるものを分けた。
売るものに関しては本日メルカリに出品登録する。売れ行きが悪ければ別の方法で処分する。

 

 

モノを捨てながら思ったのが
生半可な気持ちでは絶対に捨てられないなーということである。

多くの人は所有をする生き方に重きを置いており、色々な執着や思い入れ、常識等に囚われているしまう。結果、モノをあまり捨てることができない(捨てられないから悪いというわけでは全くございません。生き方の違いというだけ)。

 

 

 

今までの自分の人生で心の底から楽しかったと思えた時間がある。
それは中学生の頃に毎日行っていた昼休みのサッカーの時間である。

弁当を食べた後、呼びかけをするわけでもなく自然とグラウンドに人が集まり、
誰かがキックオフをするとプレイの中でチームが構成されていく。
ちなみに通っていた中学校にはサッカー部はない。

 

途中で先生も加わったりしながら20分弱の短い時間ではあるが汗を大量にかくほど遊びつくし
汗だくのまま時間ギリギリになって5時間目の授業へ向かう。

 

「昼休みのサッカーをする為に学校へ行っている」
といっても過言ではないほどサッカーは楽しいひと時だった。

 

 

 

この昼休みのサッカーに金銭は発生しているだろうか。

全く発生していない。

 

人生の幸せとはこうなのでは?と気づいた。

 

モノを減らすという行為は
幸せに気づく一つのきっかけとして自分の中で大きな一歩となった。

 

今の世の中は身近な幸せに気付きづらい世の中だなーと今になってつくづく思う。

 

今の日本はありがたいことに働くことができれば普通に生活する上では何一つ不自由ない。働けなくても生活保護もある。

ただ人間の心理として致し方ない部分もあるかもしれないが
インターネットやテレビ等の影響もあり、身近な幸せを忘れることが多くなりがちである。

 

 

 

幸せの価値観は人それぞれ違うし
自分で見つける、気づくものなのでとやかく言っても仕方ないが

幸せに気付く(思い出す)ひとつのきっかけとしてモノを減らしてみてはいかがでしょうか。

 

 

以上

関連記事

  1. 集客

  2. ジョジョ

  3. 左膝故障

  4. 畳張り替え(てもらい)ます

  5. 思いつき

  6. 寝ている人から奪い取ったワイヤレスイヤホンを集めて家を組み立てた人